中南米原産のサツマイモが急速に世界に広まったのはコロンブス以降のことである。わが国には中国南部経由でまず沖縄本島の野国(のぐに)村(喜手納町)に入った。江戸時代の初めの1605年のことだった。
2005年はそれから400年ということで嘉手納町をはじめ、全国のサツマイモ関係地でさまざまな記念行事がおこなわれた。関東では川越のサツマイモフォーラム、茨城のJAなめがたの活躍などが目立った。
行方(なめがた)は霞が浦とその南に細長く横たわる北浦との間の地で、中心地は行方郡麻生町だった。いまは同郡の北浦町、玉造町と一緒になり「行方市」になっている。さいきんの都道府県別青果用サツマイモの生産量をみるとトップは茨城県である。それを追って千葉、熊本、徳島、鹿児島そして宮崎の諸県が続いている。
行方地方はその茨城の代表産地としての自覚と誇りから動いた。JAなめがた甘藷部会連絡会は「甘藷伝来400年記念プロジェクトチーム」を発足させ、特製の記念箱を4000箱も作った。そして秋に掘りたての自慢のいもを入れ各方面に配った。
当館にも3箱の寄贈があったので、さっそく展示室に飾らせてもらった。伝来のいわれを書いたその段ボール箱には、撰り抜きのいもが一本ずつ、4種類入っていた。
主力品種の「ベニアズマ」(紅こがね)、紫いもの「パープルスイートロード」、在来種だが捨てがたい「紅赤」、そしてここの特産に仕立てたい「ベにまさり」がそれだった。
太きな祭りのあとはなんとなくさびしいものである。昨年はどこでも静かな感じだった。そんな中で新しい動きがあつたのは沖縄と茨城だった。前者ではわが国のサツマイモの根源の地、喜手納町の役場内に事務局を置く「沖縄いもづる会」が昨春発足した。沖縄県のサッマイモ関係の有志の集りりで会誌「いもでーびる」(いもですよ~の意)をすでに2回発行している。
後者では1昨年のJAなめがたの活躍で大いに盛りあがった熱気を、その年だけで終りにしてしまうのはもったいない。それをバネとしてさらなる発展をはかろうとなった。こんどは鉾田(ほこた市にある県の「鹿行(ろっこう)総合事務局農林課」が動き、やはり昨春そこに事務局を置く「鹿行かんしょ振興会議」を立ちあげた。ちなみに「鹿行」とは鹿島地方と行方地方を指し、前者に属する鉾田市がその中心地になっている。そして鹿島地方もまたサツマイモの大産地なので、総合事務所のこの新しい動きの意義は大きい。
振興会議の構成は総合事務所、関係のある市と町、県の農業試験場、農業改良普及センター、JAなめがた、かんしょ関係の任意団体、園芸いばらき振興会、学識経験者などと幅が広い。
目的はいいサツマイモを件ることとそのブランドを確立することで、さまざまな方策が検討された。その1つとして東京でのPR活動があった。ここの農家はいいいもを作っているのに売り方がへただ。そこをなんとかしなければ先に進めない。それで自慢のいもを持っての東京ヘ、それも銀座への進出となった。銀座にはなんでも日本一ばかりの商品が集まっている。そこの人たちがうちのいもにどんな関心を持ち、どう評価してくれるのかを知りたいとなったからだ。
話が飛ぶが大平洋戦争中から終戦直後にかけての食料難時代のサツマイモはあま味の薄い、水っぽいまずいいもばかりだった。そのため世の中が落ちついてくると、あまい、ホクホクのいもが求められた。それに応えるためによりあまく、よりホクホクのいもが次々に開発された。その頂点に立ったのがベニアズマだった。1984(昭和59)年デビューのベニアズマの普及速度は劇的で、関東のいも畑のほとんどがあっという間にそれになった。
ところが消費者の要望にはきりがない。こんどはベニアズマははホクホク過ぎてたべにくい。それと冷めると急に味が落ちる。もうちょっとしっとりとしていてなめらかな、そして冷めてもうまいいもはないかとなった。そういうことならこれがあると2001(平成13)年に世にでたのが 「ベにまさり」 だった。
なめがたの農家はベニアズマがでると、いち早く作りこなし、「紅こがね」というブランドを確立している。それだけに「べにまさり」がでると、これまたただちに取り組み、すでにまとまった量を供給できるまでになっている。それもあって銀座へは「ベにまさり」を持っていくことになった。
今日は振興会議の関係者が一丸となっての銀座進出日である。わたしもその案内状をもらっていたので2時頃行ってみた。場所は数寄屋橋公園の大通り沿いの一面で、大きなテントが張ってあった。そこにお揃いのはっぴ姿のスタッフが20人ほどいて、そばを通る人々にせっせとチラシを配っていた。その見出しには 「新食感!」 「なめらか焼きいも 『べにまさり』 銀座デビュー!」 とあった。
べにまさりの焼き芋のプレゼントは11時、13時、15時の3回で毎回500本ずつ。それで1500本用意したという。わたしが見せてもらったのは最後の回だった。配布30分前ぐらいから人が並びはじめる。それを見て人がどんどん集まってきて、たちまち長蛇の列となった。スタッフの人によるとこのような状況は前の2回ともまったく同じだったという。
行列には女子学生もいれば孫の手を引くおばあちゃんもいる。背広姿の人もいればコック服にコック帽の人もいる。でも一番多いのは買い物の途中の主婦たちだ。やがて時問がきて列が動きだした。紙袋入りの熱々の焼き半を受け取るときの人々の表情がさわやかだ。だれもがニコニコ顔になり「ありがとう」と言って受けとる。公園の中のあちこちでさっそくそれを頬張っている人の顔はもっとよい。 「うん、うまい」 という顔になっている。
今日の都心でここよりも笑顔があふれているところはなかろう。それを見て「よしやるぞ」となったのはなめがたの人たちだった。そのことからも今度の事業は大成功だったといえよう。