沖縄は水田の少ない所で、耕地の多くは畑だった。干ばつと台風の多い所なので、その畑の作物も限られていた。それに耐えられるものといえば、サトウキビとサツマイモぐらいしかなかった。
サトウキビは重要な換金作物になった。サツマイモも米の得にくい所だったので、農家の主食になった。沖縄ではサツマイモのことを単に「いも」と言っている。大平洋戦争前までの農家にとって、いもは毎日三度、三度食べるものだったのでたくさん作った。それだけにだれもが常によりいいいもを求めてきた。

わが国ではサツマイモは花の咲かないものと思っている人が多い。無理もない、それは九州以北ではめったに咲くことのないものなのだから。それが沖縄では逆になる。いも畑に入ってその花を探せばたいていある。アサガオそっくりのピンクのかわいい花が咲いている。ここではいもは花が咲くものになっている。
サツマイモは熱帯アメリカ原産とされている。それだけに熱帯や亜熱帯のような冬のない、年中暖かい所を好む。そういう所でなら花が咲き、自然交配による種子ができることもある。それが地面に落ちて芽を出せば、自然実生苗になる。それが青ち、地下にいもを付けたとする。
注意深い人がそれに気付き、その一部を食べてみる。在来のものより味が良ければしめたものだ。よし、これを増やそうとなる。それが作りやすく、量もたくさん取れるものであることが分かれば評判になる。周囲の人が種いも用にともらいにくる。

このような形での新種作りは、昔から世界の方々で行なわれていたに違いない。わが国でも沖縄は亜熱帯にあるのでそれができた。ここでも早くから自然実生苗からの新種作りが盛んに行なわれ、数々の成果を挙げてきた。ただそれは昭和に入ると振るわなくなった。新種作りを国がやるようになったからだ。
国はまず沖縄本島で「人工交配」によるサツマイモの種子を作り、全国各地の試験研究機関に配布する。そこで試作してもらい、優秀なものを選抜するという効率のいいシステムを確立した。
そうなる前の、いいかえれば太平洋戦争が始まる前の、沖縄の食用いもの中心は 「佐久川(さくがー)いも」 と 「真栄里」(まえざと)だった。

「佐久川いも」 は沖縄本島中央部の読谷村(よみたんそん)の佐久川清助が明治35 年(1903)に世に出したものだった。「暗川(くらがー)、「泊黒(とうまいくるー)、「名護和蘭(なごうらんだー)の三種混合畑で見つけた自然実生苗から育てたもので、皮は白、肉は黄。粘質、多収で味も良かった。
「真栄里」は「佐久川いも」のすぐ後の明治38年に世に出た。沖縄本島南部、糸満市真栄里の伊敷三良が「和欄種」の畑で草取りをしていたときに気づいた実生苗から得たもの。皮は紫。肉は白でまん中に紫の暈(うん)がある。やはり粘質で多収だった。

今年、平成13年はその佐久川清助の生誕150年に当たる。それで読谷村ではさまざまな記念事業を行なっている。その1つにいもによる村おこしを一層盛んにするための「甘藷シンポジウム」があった。
今日読谷村へ来たのはそこでの基調講演を頼まれたからだった。それが始まる前に村役場に立ち寄ってみて驚いた。庁舎の外壁の一番高い所から、「毎月16日はいもの日」と大きく書いた懸垂幕を下げているではないか。年に一回ではない、毎月いもの日があるというのだから半端ではない。
役場で安田慶造村長にお目にかかることができた。さっそく「いもの日」ができたいきさつを伺うとこういうことだった。
「戦争が終って世の中が落着いてくると、沖縄でもいもを食べなくなりました。農家でもいもを作らなくなり、代わりに米を買って食べるようになりました。沖縄でいもの本場とされてきたこの村でもまったく同じで、いも畑が激滅してしまいました。
ただ読谷村はいもの本場の中の本場だったので、それでいいのかと思う人がたくさんいました。そうかといって今までの自家用いもでは手の打ちようがありません。発想を変えるしかないとなりました。そこで浮んだのが「紫いも」でした。
沖縄には前々からそれがありました。種類もいろいろありましたが食用いもの中心になったことはありませんでした。読谷村ではその中の優良なものを「紅いも」と称し、それによる村おこしを始めました。紅いもを作り、焼き芋用やいも菓子用などに回しました。
いもそのものが珍しかったのと、その加工品までが受けたため、「沖縄のいも」といえば「読谷の紅いも」となりました。ブランド化に成功することができたんです。
その紅いも作りの名人で、読谷村議会の議員でもある仲宗根盛敏さんが議会に提案したのです。佐久川清助さんの功績をたたえる記念事業の一つとして「いもの日」を制定し、いも文化の一層の高揚を図ろうではないかと。
それに全議員が賛成し、「毎月16日をいもの日と定める」という宣言が決議されたのです。役場の懸垂幕はそれを受けて作ったものです。
いもの日の取り組みですか。その日ができたのは今年の6月22日です。まだできたばかりで、本格的な取り組みはこれからです。それでもすでに学校給食で焼き芋や蒸しいもを出して、村の有志によるいも料理、いも葉子の請習会も始まっています。
ここにはおいしいいもがあります。それを村の人たちにもたくさん食べてもらいたいのです。産地の者がそれを上手に使いこなせないようでは話になりませんからね」

ちなみに「いもの日」の「16」は、「いも」から来ている。その沖縄方言を数字で表わすと「16」になるのだという。
わが国の地方自治体で「いもの日」を設けているのは読谷村だけだ。それだけにこの日の活かし方は、自分たちで考えながらやっていくしかない。そのかわりその中からこの村独自のいも文化が生まれてくることは間違いない。それを楽しみに、この日を大事に育てて欲しいと思った。