今日は川越ペンクラブの総会の日だった。それが終わってからのこと、ある女性会員からこう言われた。 「館長さんはさいきんいろんな所でおいもの話をされていますね」
たしかにここ2~3年、そういう機会が急に増えた。ありがたいことだが喜んでばかりはいられない。主催者や会場は違ってもちいさい町の中でのことだ、前に来てくれた人がまた来ていることがある。
それでやりにくくなる。前と同じ話はしたくない。といっても話の柱は変えようがない。枝葉の部分を変えるしかない。ただそれもいいものがたくさんあるわけではない。さいきんはその種が尽きてきて困っている。そんなことを言っていたら何人もの婦人会員が周りに集ってきた。そして口々にこう言って励ましてくれた。
「そんなことちっとも気にすることはないわ。聞き手は館長さんのおいもへの思い入れを聞きたくてきてるの。それが伝わってくる語り口に惚れてきてるの。
歌手の持ち歌と同じことよ。あの人たちはいつでも、どこでも同じ歌を歌っているわ。ファンもそれを聞きたくてきてる。それなのにその日に限ってそれがなかったらどうなります? がっかりしちゃうわ。
館長さんのいも話だって同じようなもの。来るのはおいもファンなんだから同じ話を何回やってもいいの。そのほうがずっと受けるわ」
これには参った。そういう考え方もあったのかと恐れ入った。