東京都西多摩郡日の出町から80過ぎの男の人が来た。売店のサツマイモの粉を見て、こんな話をしてくれた。
「ほほう、いも粉か。これは色は白っぽいが水でこねると茶色になる。それを手で握ってダンゴにしてふかすと、まっ黒になる。それをサツマダンゴと言っていた。
あまくてうまい。昔の農家の者にとってはごちそうだった。もっともなんにも知らない都会の者には、気味の悪いものにしか見えなかったようだ。食い物でまっ黒なものなんてこのダンゴの他にはないもんな。
実は戦争中の食粗難時代にこんなことがあったんだ。あの頃は五日市の隣りのうちの方にまで、東京者が食料の買い出しに入り込んできた。
ある日、家中の者がダイドコロでサツマダンゴを食っていた。そこへ東京から買い出しに来たという子連れの女親が入ってきて、なにか食えるものを売ってくれと言った。
相手がペコペコなのはすぐ分かる。かわいそうになってサツマダンゴの1つずつでもくれてから、野菜でも分けてやろうと思った。まず子供からと思ってダンゴを渡そうとした時のことだった。親が血相を変えて『もらっちやだめ』と叫ぶなり、出した子供の手をぴしやっとたたいた。
おれには親がなぜそうしたのかが分かった。それでそのダンゴを口に入れ、むしゃむしゃ食ってみせた。安心しな。色はまっ黒でも、ほれこの通り食えるんだよとな。
でもだめだった。その親は子供の手を引っぱり、ものも言わずに逃げて行った。毒でも入っていそうに見えたんだろうな」。