当館の展示品の一つに、サツマイモをスライスする道具、手回し式の「いも切り機」がある。昔はこれで作った切り干しを粉にして、よくサツマだんごを作ったものだった。
愛知県から来たという70代の婦人がそれを見て戦時中のことを思い出してしまったと、こんな話をしてくれた。
「わたしは戦時中に看護婦の養成所を出て、瀬戸市にあった大きな病院に勤めました。看護婦は全寮制でした。そこの食事は量も少ないし、質もよくありませんでした。いも粉を水でこねます。それを丸めて押しつぶし、円盤状にして蒸した、まっ黒なものがご飯代わりによく出ました。サツマダンゴの変形です。色も形も円盤投げの円盤そっくりだったので、「エンバン」と言っていました。
先輩たちはそれが嫌いで、それが出ると「こんなもの食えるか」と食堂の外に投げ捨てていました。寮に長くいる人たちは国元からお米を取り寄せていて、ご飯が気に入らない時はそれを炊き、勝手に食べていました。
ところが新米看護婦のわたしたちには、そんなわがままは許されません。食べ物は寮で出るものだけです。食べ盛りということもあって、いつもお腹がペコペコでした。だからエンバンだって何だってガツガツ食べました。
本当は先輩たちが捨てたエンバンだって欲しかったのです。なんてことをするんだ、もったいないと何度思ったか知れません。でもこっちにも意地があったのでしょうね。「捨てるなら、わたしたちにください」とはどうしても言えませんでした。」