60代の女の人が当館の売店にあった丸干しの干しいもを見て、「あっ、ひがしやまがある」と大きな声を出した。四国西海岸南部に宿毛湾がある。その沿岸地方は段々畑で有名なところで、昭和20年代までの作物は麦とサツマイモだった。
そこでは丸干しの干しいものことを「ひがしやま」と言う。なんでそう呼ぶのかを知りたくて、前々から調べているのだが、まったくわからない。その女の人にも聞いてみたが、やはりわからないという。そのかわり、それにまつわるこんな話をしてくれた。
「わたしは愛媛県南宇和郡西海町の出身。中学卒業と同時に東京に出て働いた。その後結婚し、いまは川越に住んでいる。
『ひがしやま』は、どのいもででも作れるわけではない。それ用のいもでないとだめ。その皮の色は白。蒸すとべちゃっとなる、とってもあまいいもだった。そのいもを蒸し、皮をむいて丸ごと干しただけのものが『ひがしやま』だった。
うちは漁師だった。いまはだめだが子供の頃は、イワシが取れて取れてどうしようもないほど取れた。それでいりこやめざしを作って商人に売った。その頃の食事はサツマイモとイワシの日が多かった。
片手に蒸しいもを持ち、片手にめざしの焼いたのを持って交互に口に入れた。それがうまかった。時々、蒸しいもの代わりにひがしやまを持たせてもらえることがあった。その飛び切りうまかったこと。いまでもあれよりうまいものはないと思ってる。
親はありがたい。東京に出たわたしに、時期になるとひがしやまとめざしを送ってくれた。それがやがてめざしだけになった。だれもがひがしやまを作らなくなったからだと聞いた」
さいきん宿毛湾地方でひがしやまの復活運動が起っている。そのことで当館へ来た人もいる。そんな話をその人にすると、こう言った。「またひがしやまを食べれるようになるのかな。嬉しいな」