太平洋戦争前の名古屋市北区の味鋺(あじま)地方は、サツマイモの名産地だった。戦後、いも畑が激滅し産地としての力を失ったが、さいきんになってその復活運動が起った。北区と住民が協同でいも畑を増やし始めた。そのいもを使っていも葉子を作る組合もできた。今目はその親合の幹部の人がきて、こんな話をしてくれた。
味鋺いもを使う葉子屋の組合ができたのは3年前だった。メンバーは15軒で、ぜんぶ生棄子屋。
北区から味椀いもを使ってもらえないかと言われた時、いろんな意見が出た。戦争時代を知っている人たちは乗り気でなかった。「いもなんか」という気持が強いから、「今さらなんでいも?」となってしまう。「いも菓子なんて、まともな生菓子屋のやる仕事かね」と思っているのだから大変だ。
ところが若い人たちにはそんなことはまったくない。おもしろそうだ、やろう、やろうなった。それで組合が出来て、やってみて驚いた。作ったものがどれもよく売れる。これはいいぞとなった。
わたしには名古屋でいも菓子といえば、名古屋駅構内などで売っている「鬼まんじゅう」がまず浮かぶ。それでそれも作っているものと思って聞いてみると、それはない、わけはこうだと言われてしまった。
鬼まんじゅうはむかしは売るものではなかった。家庭でちょっとしたおやつに作るものだった。小麦粉をお湯でとく。さいのめに切ったサツマイモをそれに入れて混ぜる。それをお玉かなんかですくっては蒸し器の土に置いていく。そして蒸しただけのものだ。
素朴なものでファンもある。でもプロのやる仕事とは思えない。われわれはいつもよりよいお菓子を作ろうとしてるんでね。味鋺地区にはこういう人たちがいる。味碗いもの復活運動は着実に伸ぴていくに違いないと思った。