東京都世田谷区池尻に東京栄養食糧専門学校がある。いも菓子、いも料理の普及事業にも熱心な学校として知られている。今日ここでサツマイモ料埋を普及させるための懇話会が開かれた。
参加者十数人。川越からはいも料理で有名な「えぷろん亭」主人、原京子さんとわたしが招かれた。原さんとのお付き合いは長いが、店を開かれたわけを伺ったのは今日が初めてだった。開店は昭和63年。そうなったわけを一同にこう話された。
「サツマイモは今と違い、一昔前まではすごく馬鹿にされていたんです。『いもなんか』とか『いもねえちゃん』とか。川越ではそれはおいしいサツマイモが取れたんです。でも世間の評価が低かったので、それで料理を作ろうとする料理屋は出ませんでした。わたしはそれはおかしいのではないかと思いました。
川越ほどのいもの町に、いいいも料理がないのなら、それを作って世間をあっと言わせてみたくなりました。だっでくやしいではありませんか。地元の名産が不当に低く見られていたんですから。その地位を引き上げたくて、いも科理屋を始めてしまったようなものです。
それにしてもみなさんに喜んで頂くのは難かしいことです。たとえば男のお客さんに、いものくき(葉柄)の料理を出すと、いやな顔をされてしまいます。そうされないためには工夫が必要です。うちではそれで炊き込みご飯を作ったり、キムチにしたりしています。これだと男の人でも喜んで食べてくれます。
今熱を入れているのは大学いもです。お年寄から子供まで、年齢に関係なく喜んでもらえそうなものとなると、これになってしまいます。紫いもでやってみようとか、レモン風味はどうだろうとか、考えるだけでも楽しくなってきます。『さすがは川越だ。おいしい大学いもがある』と言われるようになりたいです」。
わが国で最初の本格的なサツマイモ料理の店となれば同じ川越の「いも膳」になる。開店は昭和57年。「えぷろん亭」より7年早かった。「いも膳」の主人、神山正久さんは当館のオーナーでもある。原さんの話を聞いていて、開店の動機がうちの神山さんとまったく同じだったことに驚いた。神山さんもお客さんにそれをきかれるたびに、こう答えているからだ。
「うちが店を開いた頃のサツマイモの評価は低く、野菜の中で一番ダサイものとされていました。 日本人はサツマイモのおかげで戦争による食糧危機を乗り越えられたはずなのに、景気がよくなるとそんなことはたちまち忘れてしまい、ダサイ、ダサイと馬鹿にするようになりました。おかげでいもで有名だった川越の者は『いもにいちゃん、いもねえちゃん』と馬鹿にされ、くやしい思いをしてきたものです。
そういう目に合わないですむようにするにはどうしたらいいのか?野菜の底辺にあるサツマイモをそのてっぺんに引き工げ、カッコイイものにするしかありません。たくさんある野菜の中の王様にするしかありません。
そんなことはできるはずがないと笑われましたが、こっちには自信がありました。よしやってやるぞ。待っててくれよという気持で店を作り、突っ走ってきました。そうしているうちにこっちにとってはいい風が吹き始め、今ではねらい通りになってきているという感じです」。
その土地の特産品で体によくておいしいものを作る料理屋は全国のいたる所にある。ただ川越のようにそれがサツマイモとなると、ことはかんたんにはいかなくなる。
原さんも神山さんも川越生まれ、川越育ちの生粋の川越っ子だ。川越のいも料理屋は世間からなんと言われようとも、サツマイモが好きで好きでしょうがない川越っ子の意地から生まれたようだ。