月刊誌「味の味」のライター、神田美枝さんが取材に来てくれた。仕事が終わって雑談になった時、こんなことを言われた。
「今は全国の有名な店の、すばらしい味を紹介させてもらっています。それはそれで大事なことです。でも時々、それだけでいいのかなと思うことがあります。
わたしの子供の頃は戦争による食糧難の時代でした。わが家はそれが特にひどかった東京にありました。いつも食べるものがなくて、ひもじい思いをしていたものです。
その頃の配給食糧で多かったのはサツマイモでした。母と一緒にリュックを持って配給所ヘ、それをもらいに行きました。配給いもの切り口は花びらのようになっていました。そうそう、沖縄100号といいました。わが家がもらういもはいつもそれでした。味のない、ベチヤベチャのまずいいもでした。
でもそれがあったおかげで、わたしたちの今があるわけです。それなのにどうしてなんでしょう、あの時代のサツマイモの役割を取り上げ、その値打ちを見直す歴史家が1人もいないのは。
若いつもりでいたわたしたちも、いつの間にかトシを取ってきています。このままではあのにがい経験も後世に伝えられなくなっでしまうでしょう。
風化させたくない。風化させてはいけないと思っています」
わたしの思いも神田さんとまったく同じだ。でもそれをここまではっきり話してくれる人は、そうはいない。戦争飢餓時代のサツマイモについて、ちょっと触れている本はいくつかあるが、本格的なものは見当たらない。
戦後地方史の研究が盛んになり、市町村史も続々と刊行された。それにその記述があって当然だと思って目を通しているが、めぼしいものは少ない。苦しかった時代の、いやな惨めな思いには触れたくないというのだろうか。