八重山諸鳥の中心地、石垣市に来たのは今回で3度目。おみやげ屋「みき」の主人がこんな話をしてくれた。
「戦後、沖縄にもたくさんの人が引き揚げてきました。その数が一番多かったのは沖縄本島でしたが、ここは開拓の余地のない所です。それで琉球政府は土地のゆとりのあった八重山開発を進めました。その中心がこの石垣島で、たくさんの入植者を迎えました。
その人たちが開墾地で一番作ったのはサツマイモでした。どんな所でもよくできたのと食糧難時代だったので、いい値で飛ぶように売れたからです。
その後、いも畑はパイナップル畑になりました。それが今はご覧のように、サトウキビ畑か肉牛用の牧草地になっています」。