奈良市から60近い母親と20代の娘の一人連れが来てくれた。展示室にある昔のサツマイモを見ているうちに、母親は戦争の頃のことを思い出してしまったらしい。娘にこんな話をした。
「お母さんが子供の頃は戦争でお米がなかったの。お米の代わりはおいもさんで、1週間もそれだけのことがあった。それもズルズルのおいしくないいもばかりだった。今お店にあるおいもさんは、どれもおいしいけど、お母さんたちにとってはやっぱり『代用食』という感じね」

娘はつまらなそうにこう言った。「またその話?よしてよ。うちらのイメージは『ポテト』で『おやつ』感覚なんだから。それもお値段の張る、ちょっとぜいたくなおやつ。スイートポテトでもいもソフトクリームでも、いいお店のものは高いけど、とってもおいしいわ」

戦争を知っている世代とそうでない世代とでは、サツマイモのイメージがこうも違う。若い人たちにとっては、たくさんあるおやつの一つに過ぎない。ところが中高年にとっては暗く、貧しく、惨めだった時代の象徴で、忘れられないものになっている。

その母親はわたしにこう話してくれた。「うちは奈良市内の非農家でした。父は工員で子供6人。配給食糧だけではとても足りません。郊外には水田も畑もありましたので、母はよくそこの農家においもさんを買いに行きました。本当はお米が欲しかったのですが、それは売ってくれなかったそうです。
おいもさんでも買うのは大変でした。行った先の農家の野良仕事を朝から夕方まで、ただで手伝わされます。その後でリュックサックいっぱいのおいもさんを、やっと売ってもらうことができたそうです。
今日は東京に出たついでに、ここに寄りました。大変だった頃のことを思い出させてくれるものがいろいろあってよかったです」