甲府市近くの農村で育ったという主婦が来て、こんな話をしてくれた。
「小学校の時は戦争のまっ最中だった。宿題は算数や漢字書き取りではなく、作業ばっかりだった。たとえば秋にはサツマイモのカラ取りをやらされた。先生が明日、学校にそれを何百匁持ってこいなどと言う。
『カラ?』クキのこと。『葉柄』ね、むずかしく言うと。あれはいくら取っても、なかなか目方が出ない。早く取って遊びたいのにそうはいかない。それでもそれが生でよかった時はまだよかった。そのうちにカラカラに干したものを一人、何十匁持ってこいとなった。
干すと目方はもっと出なくなる。だから毎日、いものカラ取りに追われてた。都会の人もあんなものを食べさせられてたんだから、ひどい時代だったねえ」
「終戦後のある日、母が米との物々交換で鮭缶を手に入れた。そのサケといものカラを一緒に煮てくれた。そのうまかったこと、世の中にこんなにうまいものがあったのかと驚いちゃった。あの味は今でも忘れられないね」。