「戦争とサツマイモ」展も終盤に入った。すでに3000人以上の人が来てくれている。
今日は「共同通信」の記者が来てくれた。来館者の話でなにか面白いものはなかったかと聞かれたので、いくつか紹介した。その一つにこんなものがあった。話者は東京から来た80のお婆さんだった。
「わたしの家は東京にありました。戦争で長野のある村に疎開しました。食料難の時代で農村に居ても食糧がなかなか買えません。売ってくれたのは村一番の大きな農家一軒だけでした。その代り主人が強欲で、なんでもびっくりするほど高く売り付けました。
ところがある年の秋、信じられないことが起ったのです。その村の疎開者10軒ほどに、サツマイモをただでやるから取りに来いと触れて回ったのです。わたしたちは大喜びでリュックサックを持って行きました。
庭にいもが山のように積んでありました。持てるだけ持って行っていいと言うので、夢かと思いました。帰ってさっそくふかして食べたら、そのおいしかったこと、配給のまずいいもとはまるで違うものでした。
ところが翌朝、その農家の主人が血相を変えて飛び込んで来ました。『昨日お前たちにくれちゃったのは、いいイモの方だった。本当はあれではなく、洪水に漬かっちゃった石いもの方のつもりだった。それを家の者が間違えて、水に漬かってない畑の、いいイモをやっちゃった。だからすぐ、全部返せ』ですって。こっちは『ざまあ見ろ』です。みんな食べちゃったと、突っぱねてやりました」
終戦直後は洪水が多かった。サツマイモは3日以上水に漬かると、煮ても焼いても食えないガリガリの「石いも」になってしまう。ただ見た目は普通のいもとまったく同じなので、こういう喜劇も起るわけだ。