わが国のサツマイモは長年、農家の自家用の作物としてひっそりと作られてきた。それが1931年(昭和6年)以来の「15年戦争」の中で「重要国策作物」の一つになり、国の音頭で大増産されることになった。ただ用途は食糧としてではなかった。
当時の合言葉に「ガソリンの1滴は血の1滴」があった。軍国主義時代の日本の悩みは近代戦に不可欠なガソリンの極度の不足だった。そこでサツマイモとジャガイモから燃料用の無水アルコールを作り、ガソリンに混入することになった。
1937年、そのための「アルコール専売法」が制定され、年産2万石(3700キロリットル)規模の国営アルコール工場の建設が全国の主要いも類産地で始まった。関東では千葉市と茨城県の石岡に建設され、1938年から操業を開始した。
両工場とも原料はサツマイモで、品種の中心は「沖縄100号」と「茨城1 号」だった。
前者は1934年、沖縄県農事試験場で、後者は1937年、茨城県農事試験場で育成された。共に作りやすく、量も在来種とは比較にならないほどたくさん取れたので、アルコール専用種としては頼母しいものだった。
ただ食べてみるとまずかった。あま味もうま味もない、べチャべチャの「水いも」だった。特に「イバイチ」と呼ばれていた茨城1号はひどく、のどを通るようなものではなかった。
太平洋戦争末期から敗戦後の2~3年にかけて米不足が深刻になった。政府は代りに大量のサツマイモを配給したが、その多くはアルコール用に開発されたものだった。まずいものばかりを食わされ、国民はいも嫌いになってしまったが、それがなかったらどうなったのだろう。餓死者が続出したに違いない。
今年、1995年は「戦後50年」に当たる。そこで当館では「ガソリンいも」ではあったが、「お助けいも」にもなった沖縄100号と茨城1号を付属の農園で作り、秋に展示試食会をやってみたいと思っている。
ただ前者と違い、茨城1号の苗は近隣になかった。それで今日、水戸にある茨城県農業試験場に苗を分けてもらいに行った。同場には「いも友達」の泉沢 直氏がいる。いろいろお世話になっただけでなく、こんな耳寄りな話まで聞かせてもらうことができた。
「うちでは毎年秋の1日を『公開デー』にしています。来場者は千人ほど。昔のいもと今のいもをふかし、1口大に切ってその人たちに食べ比べてもらっています。始めたのは1昨年からで、まずは『夕イハク』と『ベニアズマ』。去年は『茨城1号』と『ベニアズマ』で、今年は『農林1号』と『ベニアズマ』の予定です。
タイハクはとても懐かしがられました。あのあま味はソフトでいいですからね。茨城1号はやっぱりだめでした。べニアズマと食べ比べてもらうのは、最近の関東のいもはこれ一色だからです。それと今のおいもはこんなにおいしくなっているのですよというPRも兼ねています」
茨城県は関東で最大のサツマイモ産地だ。それだけに試験場も張り切り、PRにまで力を入れている。当館でも、この食べ比べ方式を参考にさせてもらうことにしよう。