農業技術史の研究者として有名な早稲田大学の筑波常治教授が突然来られ、館内を一巡してからこう言われた。
「イバイチ、茨城1号はありませんか」
茨城1号は作りやすく量も取れたので、茨城県は昭和12年、つまり日中戦争の始った年に、アルコール原料専用の奨励品種に指定し、普及を図った。ただ味はひどく、とてものどを通るようなものではなかった。
甘藷農林1号の生みの親として知られる元農林技官、小野田正利氏も『さつまいもの改良と品種の動向』(いも類会館、昭和49年)で、「いもは巨大なる紡錘形のもの多く、稀に下膨紡錘ともなる。肉色は鈍白色、肉質は極軟質で粘質性である。既存品質中、品質劣悪の品種である」ときめつけられている。
太れるだけ太らせた巨大な沖縄100号(昭和9年育成)も悪評高かったが、これはもともとは早掘り用の食用イモとして育成されたものだけに、まだ救いがあった。ところがイバイチは最初から工業原料用のイモとして育成されたもので、味は問題にしなくてよいものだった。
それが敗戦前後の食料難時代に食用に転用され、大量に配給されたのだからたまらない。1挙にたくさんのイモ嫌いを作ってしまった。この世にこれ以上まずいイモはないという札付きのイモが当館に無かったのはまずかった。さっそく探してみよう。