埼玉県の本庄市からきた男の人がこんな話をしてくれた。
「終戦の時、自分は12歳で妹は4歳だった。きょうだいは2人だけだったので仲がよかった。先日家の中を片付けていたら、終戦の翌年頃の写真がでてきた。モノクロの名刺版でセピア色に変色していた。
親類の人が撮ってくれたもので、自分と妹が並んで写っている。それを見て思わず『あっ、妹がいもを持っている』と言ってしまった。うちは町の中心部の非農家だったから、その頃の食糧事情は最悪だった。
いつも腹ペコでしょうがないので、水をガブガブ飲んでいた。一握りの米にサツマイモを入れたおかゆはいいほうで、たいていは蒸しいもだけの食事だった。そのいもも1人分は情けないほどわずかなものだった。
そんな貧しい昼食時に突然写真を撮ってもらえることになり、あわてて外へでたらしい。その時妹は大事な自分のたべかけのいもを、とっさに持ってでたようだった。 あの頃にはいまの人たちに話しても信じてもらえないことがいろいろあったよ」