今年、2005年は太平洋戦争が終って60年ということで、マスコミも戦争による食料難時代の話の報道に熱心だった。今夜のNHK第一テレビ「特報首都圏いまなぜ昭和ブーム」の中の「江ノ電」もその一つだった。
「江ノ電」は江ノ島電鉄の略。藤沢と鎌倉を江の島経由で結ぶチンチン電車として親しまれてきた。テレビに出たのは食料難時代にその運転手だった人で、それによると当時の「江ノ電」は「いも電」と呼ばれていたという。
同線の沿線の多くは砂地で、もともとサツマイモ畑が多かった。それで食料増産が叫ばれるようになると、いも畑がさらに増えた。束京や横浜などの都会で食料不足に悩まされていた人たちが、身近なところにあるそのいも畑を見逃すはずがない。秋になると大きなリュックサックを持ってたくさんの人が、いもの買い出しにどっと押し寄せた。それで江ノ電は超満員になってしまい、「いも電」の名がでたのだという。
わたしがこの話に興味を持ったのは、当時同じような理由から川越地方にも「いも電車」と呼ばれていたものがあったからである。池袋から川越を経て小川町に至る東武東上線がそれだった。